日星の歴史をふりかえる(1)
学校法人 聖ヨゼフ学園 日星高等学校
昨年本校は創立90周年に当たり、5月に記念式典そして記念事業を実施しています。本年度は、90周年記念誌を刊行する予定です。(昨年予定していましたが、コロナ対応など諸般の事情で本年の秋に延期となっています)
そこで見つけた昭和39年ごろの新聞(今から1964年ごろ)を掲載します。
新聞記事より (久次校長時代1949年~70年)アルバムより
『先輩後輩 わが母校(197)』
日星高校① おいたち (題字は久次フイノ校長)
受難こえて再開校 道徳、英語を教育の柱に
舞鶴市上安久、国道二十七号線に面した五老岳の山すそに建つ白い鉄筋コンクリート三階建てのミッションスクール。みどりにつつまれた*学園広場 で、ユニホーム姿の生徒がソフトボールを楽しむ風景がよくみ られる。市内唯一の女子学園、は平和な空気につつまれているが、そのおいたちは受難の道を切りひらいたものだった。
昭和三年、カトリック レデンプトール舞鶴教会=市内三の丸に赴任してきたフランス人のアノージュ神父(現ローマ法王庁づめ宗教顧問)が、宗教活動の一環として、教会内の一室に「舞鶴裁縫女学院」を設けた。同七年、現在の府立音ろう学校舞鶴分校敷き地に校舎を新築、聖母幼稚園も併設、経営をカトリック修道女日本訪問童貞会(本部=鎌倉市)にゆだねた。同十五年四月、正式に府の認可を受け「舞鶴暁星実科女学校」と改称、宮津暁星実科女学校の姉妹校として、市内倉谷地区に新校舎 (現府立職 業訓練所)を建て、聖母幼稚園と別れて移転した。だが喜びもつかの間、旧海軍が同校と周辺の広大な
な田畑を買収、海軍工廠造兵を建設することになり、“異教” にたいする風当たりは強くなった。このため十八年二月二十日、閉校という十字架を背負い、神の力、も旧海軍の圧力に服した。
戦後、軍の圧力から 解放され二十一年四月旧陸軍重砲連部隊中部七十一部隊跡の払い下げを受け「日星高等女学校」として開校した。さらに二十三年十月、学制改革により「日星高
校」となり、二十六年三月、学校法人「聖ヨゼフ学園」 (日星高、日星中、聖母幼稚園、暁星女子高、宮津 暁星 幼稚園)に組織替えし、三十六年十月、、新校舎本館を完成、学園整備を完了した。現在、普通科生徒八百七十六人。教科内容に、カトリック道徳、特別教育活動 (英語、数学)を重視しているのが特色。
卒業生は、舞鶴裁縫学院の第一回四人をふくめ、戦前派 (十八年まで)百八十七人、戦後は日星高女二百十人、日星高校千六百三十四人。これらの総数二千三十一人と日星中学校の卒業生で「日星同窓会」を結成している。(写真は日星高校の本館)
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